いずメモ日記

むかし小学校の時当番で書いてた日直日誌みたいなもんです。

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない

ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれないブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない
(2008/06/26)
黒井勇人

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電車男以来に読んだ2ちゃんねる本。あの形式は読みにくいけど、この本は妙に気が乗ってしまい、閉店前の本屋だってのに40分ぐらい立ち読みしてとうとう読み切ってしまった。

ほんとにあんのかよって感じのブラック企業。来年からIT企業で働く先輩が多い僕にとってはちょっと彼ら・彼女らが心配になった。

最後には意外にも感動が。
そうか、そういう終わりね。って思いながらも、ここにWebの力があるよな〜とちょっと感動して読了。
すぐ読めるので、買えとはいいませんが、暇な時には本屋ででも読んでみてください。
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僕はこの一節が好きだ

世界は幻でしかないわけだから、リアリティはいつも砂漠の果てに映し出される蜃気楼のようなもの。それなのに必死で意味を求めてさ、馬鹿なのは私の方で、こうやって現世をイージーに生きている連中の方が悟っているのかもしれないわね。結局、誰一人として人間は宇宙の根源を見極めて死ぬことはできなかった。私はそう思うの。どんな哲学者も宗教家も政治家も…。彼らがこれが真理だと思って捕らえたものは結局、馬鹿でかい象の一部分なんじゃないかしらね。それなりにみんな正しいに違いないけれど、やはりそれなりにみんな間違えているような気がする。
     辻仁成『ニュートンの林檎』



僕はこの一節が好きだ。
ぼやき(日刊にしたい) | コメント:2 | トラックバック:0 |

遠近法

人の人生はすり鉢状の、先細りのもので、みんな死という終わりで結局同じ終着点に行き着くって考えてしまいがちで、結局いろんなことは塞翁が馬の連続で、そうやって過ぎていく部分は、僕たちが選びとれない部分で、けっこうあるのかなって思うことが多い。
最近そんな小説を読むことが多いからかもなぁ。うーん、別に何を悩んでるわけでもないんだけどね。
そんなこと考えながら、ふと、金曜日の飲み会の失態を思い出す。最終的に大学の芝生で寝てたからなぁ。。。ちょっと飲みすぎたかぁ。

こうやって死生観と飲み会の失態の話が混同する僕の脳ミソ。思考はいつも予想不可能な方向に。思い出したくないことをふっと思い出したり、思いだしたいことが出てこなかったり。今回の場合だと、前者の真剣みがなくなるよね。思考に遠近法はない。ある程度過去のことであれば、それらの記憶の大きさなんてのはその物事が起こった時からの時間の長さに比例しない。主観的に大きな経験だと思うことははっきり覚えているし、そうじゃないものは忘れるし。

なんか今日のはよく分かんないけど、もったいないからアップ。
こうやって思考はまとまりにくいものなんですね。

ぼやき(日刊にしたい) | コメント:2 | トラックバック:0 |
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