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まちかどゼミナール 2007年12月

2007年12月22日 09:20

商学部って学部にいると、いつも経済とかを考えている時間が多いわけで、何かと政治とか民意だとか考える時間ってのは持てないし、そういう時間があったとしても、やっぱりそこで考えるのは経済と関りのある政治であったり、経済が政治に及ぼしている影響であったり。
そういうようなことを考えていると日ごろは目に付かない問題もいっぱいあるわけで、昨日はそういうことにまたいつも通り気づかされました。

今年二十歳になり、来年の1月には成人式を迎える僕ですが、そんな私も今年から選挙権を与えられました。こうやって年齢というもので自動的に与えられるものではあるけれど、民主主義の日本においては、この権利の行使が唯一の参政権の行使の仕方であると思う。
そんななかで「政治は分からない」「今の政治はダメだ」「今の政権には期待していない」と言い、何も行動を起こさない若者も多い。
そういう意味で、日本においても民主主義は「国民という主役抜きの劇場型民主主義」に成り下がっているといえる。本来、主役である国民自身が、自身が主役であるということを忘れてしまっているのだ。
自らの後援や支持基盤を基礎にして戦う民主主義的な選挙は所詮虚のもので、政治が間違った方向へ向かった時にはそれを正す国民でいなければいけない。

「世論はメディアに操作されているのでメディアはもっとモラルを持つべきである」とか「民意を反映した政治を行わなければいけない」だとか世論をもっとうまく活かせという指摘はどこからでも聞こえてくるけれど、一方『世論』自体も批判されるべきものであって、
「国民は自らにふさわしい政府しか持てない」のではないだろうか。
「世論はメディアに左右されている」と言っても、そういう風に左右されるかどうかまで誰かが面倒を見ろというのであれば、それは過保護であって、合理的な意見ではないと思うし、そこまで実際は面倒見切れない。自分達の非合理的な判断(その時々の時勢に流されるなど)に基づいた所詮は不完全な政府しか実現し得ないということだ。

人類が誕生してこのかた、数々の戦争などを通して多くの種類の政治の形式が試され、その結果現在では民主主義という形式で政治を行っているけど、少なくとも言えるのは「民主主義は決して最善の政治形式ではない」し「民主主義が政治の質を高めるという保障は全くない」ということだ。ソクラテスを殺したのは歴然とした民主主義だったのだ。しかし、また一ついえる事は「民主主義は責任の所在が国民にあり、たとえ失敗しても国民が他人のせいにしないできちんと反省することができるシステムである」ということである。国民が政治の舞台に上がる階段は準備されているのが民主主義である。

結局堂々めぐりで、どうすればいいの??
って答えを求められたら、どう応えるべきだろう??

少なくとも言えるのは、投票率をもっと上げるべきだということ。
投票率がもし80%にでもなったら、今のように政府は選挙をただの議席集めの道具のみに使うことができるだろうか。そして、今より20%もの人が、支援基盤からではなくその時の政府の政策の良し悪しによって投票の行方を変える無党派層の人々に加わったら、いいかげんなマニフェストを出せるだろうか。
答えは否だと思う。もっと民意を、世論をという方向に政治が向かうのではないか。

何かと楽観主義になりがちな私であるが、昨日の話しを聞いてそのように結論付けた。

昨日の話を聞いてもうひとつ考える必要があると考えたのは、自らの意見の表明の仕方である。各自がそれぞれの関り方で、興味のレベルも違う中で一人1票の参政権を行使している現状で、私は一体どのように意見を表明することが適切なんだろうか。
言ってみれば、選挙で投票するのと渋谷の街頭で大声を出して自分の考えを訴え、それに共感してくれる人を一人でも多く集める、のとどちらがいいのだろうか。
この点は今後も考えていかなければいけないなと感じた。
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