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スリランカ

2009年01月31日 07:02

今日は夜に、まちかどゼミナール。大学で月1回行っている市民講座との連動企画として、僕たちのサークルが企画している少人数の勉強会のようなものだ。
市民講座のテーマを踏襲する形で毎回違ったテーマでディスカッションしているのであるが、
本日のテーマは、「民族紛争」
教授は文化人類学を専攻している教授で、専門地域はスリランカであり、スリランカの民族紛争に詳しく、スリランカ関係のテレビ番組なんかにはたまに出演したりしている教授。

民族紛争を生む、根っこのようなものは何なのだろうか。価値観の違い、宗教の違い、人種の違い、文化の分断、などいろいろな理由はあるだろうが、もともとは共存していた民族がある時から争いだし、その民族間の溝はいつしか大きく開いていき修復不可能なものになってしまう。
教授は、それには「非常にアイロニカルだが、民主主義という政治体系が悪い」と言い切った。これは、イデオロギー的な民主主義のことではなくて、政治家の民主主義の利用の仕方が良くないと言い切った。
結局、政治家は自分の票を集めようとする。そのためには、ある集団との親近感や共通性を示し、その集団の繁栄を目指すマニフェストを作る。そういう中で、他の民族を排他的に扱う。そうして選挙を通し、ある種のナショナリズムを鼓舞し群集心理を操る。言論が民族の対立の火種になる。そうして、また争いが生まれてくるというのだ。
日本のようにほぼ単一民族国の場合は、そういった対立を生みだす政治はあまり現実感を持って考えることができないけれど、そういう中で国際社会にはこういった国々が多く存在する。
スリランカはこのように一応選挙も機能し、妥当といわれる民主主義が成り立っていると表面的には見えるけれど、その内部は実態はそうではない。
そしてミャンマーやタイは、軍部も強い。こうなっては、正当な選挙なども難しくさらに状況は深刻だ。

ガンジーの話は非常に興味深かった。ガンジーは言わずとも知れるインドの独立に大きく寄与した活動家である。
だがガンジーが暗殺されたのは、熱心なヒンドゥー教の信者の手によってだ。
植民地時代は、敵は大英帝国であり、敵が外部にあり、分かりやすかった。彼らかの独立が国の民族の全体の明確な目標であり、敵は外部にいた。
しかし、一旦独立すると敵がいなくなった。インド内の人々が一生懸命に排除しようとしていた大英帝国の人々はインドから撤退し、次の問題はどういった国を作るかという問題になったのだ。
そういう中で、明確な正解というものが無くなった。
どのような国を作るか、誰が統治するか、どんな政治を作っていくか。
次はYes、Noの問いでは無くなってしまったのだ。
そういう中で、今度は国内での争いが起こる。どういった国が理想かを、民族同士が争うのだ。
そして、ガンジーは暗殺された。
人間は、またどこかで二項対立を創り出してしまう動物なんだな。
これもまた、非常にアイロニカルだと思う。

そして話題は、戦争責任などの問題へと移る。
果たして、僕たちのような若い世代は60年前の戦争の責任を担うべきだろうか。
もし担うとすればそれは、いつまでその必要があるのか。参加者の方々が各々に自らの意見を述べた。
そういう中で、教授は「若い世代に戦争の責任はない。しかし、今こうした生活ができているのは、過去の延長線上の出来事なの。どういった歴史があって、今の若い人たちの食べ物や生活環境が出来上がっているか、ということは知らなければいけないし、その上で自分の今の生活に関わっているという点で歴史を知る必要はある」と仰った。
非常に意味のある言葉だった。

民族紛争が起きている地域というのは、起きてから非常に長い間戦闘状態にある。30年も戦闘状態が続いていれば、平和な状態はどんなものかなどということを知らずに人生を送っている人がほとんどということ。
そういった中で日本の僕ができることってなんだろう。
すこしまた考えてみようと思う。真剣に。
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