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『シャープを創った男 早川徳次伝』

2009年07月29日 11:48


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「小学校さえろくに行けなかった徳次は、せめて自分の工場で働く青少年に勉学の機会を与えたいと思っていた。徳次の信条であり、戦後の社訓にもなる「五つの蓄積」(信条・資本・奉仕・人材・取引先)のうちの一つ、「人材の蓄積」のためでもあった。徳次はこう記している。「まず経営者たる自分が燃えなければ社員の心に火を付けることは難しい。私は社是の一つとして人材の蓄積と言うことをあげているが決して秀才集めではない。むろん頭のいい収載に越したことはないが、事業に実際にたずさわっているうちに、いわゆるものの役に立つ人間を現場でつくり上げていく。会社に相応する各層の精鋭たる持駒をできるだけ数多く揃える。これがいわゆる私の人材の蓄積なのである。愛情をもって社員に接し、教育し、そだてていってこそ会社にとって必要な人材が蓄積されて行く」」本文中より。



早川電機工業、現在のシャープ株式会社の創業者、早川徳次の伝記。
伝記類はあまり読まないのであるが、読み始めてみると面白く一気に読み切ってしまった。

1883年(明治26年)に三男三女の早川家の末子として生まれた徳次。後に関東大震災、太平洋戦争も待ち構えている、正に激動の時代に生まれたのである。

8歳にして坂田家への年季奉公へ、19歳で「徳尾錠」を発明して起業へ、そして22歳にして後のシャープという会社名の起源ともなった早川式繰出鉛筆(シャープペンシル)を発明した徳次。
苦労をしながらも発明とその努力で会社を大きくしていったが、そううまくはいかないのが彼の宿命であった。30歳の時、関東大震災が直撃し、工業や機械、そして家族までもが犠牲になり、借金返済のため徳次はその代名詞でもあったシャープペンシルの事業を譲渡する。大阪に渡り一からの出直しである。ここでラジオに目をつけ、国産一号機を開発。畑違いの技術であっても、想像を絶するような努力でカバーしていく徳次。彼の才能もあったかもしれないが、その情熱は並大抵の人には真似できるものではない。
ラジオなどの技術は、後の太平洋戦争へ向けても国策として重宝され、レーダー技術の開発など時代が戦争に向かう中彼は働き続けた。「当たる時は、当たるんだ。死ぬ時は、死ぬんだ」とB29が飛び交う中、一度も防空壕に入らなかったその胆力が彼を物語っている。
何度も苦しい思いをしながらも、決して諦めずその度に再起していく徳次。執念ともいえる情熱には本書を通じて非常に勉強させてもらった。

再起にはいつも協力してくれる仲間がいる徳次。成功の保証のない大阪での事業でも、高給を捨て、彼の小さな工場へと着いてきた従業員は数知れない。彼が不運にいた中でも、こう何回も這い上がってこれたのは彼を慕う仲間や恩人がいたからであり、そのような関係を築くことができた彼の人徳の賜物であった。

また本書を通じて感じたのは、20世紀という世紀である。それは正に徳次の人生が物語っているように、日本にとって大きく世界舞台へと上がっていく世紀だったのだ。
途中戦争と言う大きな過ちを犯しつつも、国内では徳次を始め、松下幸之助や井深大など現代の大企業に名を連ねる企業の創業者が現れ、彼らの発明により日本は豊かになっていき、日本がだんだんと世界に追い付いてきたのだ。

シャープペンシルから、ラジオ、テレビ、電卓、液晶と、今でも日本の技術の最先端を走っているシャープ株式会社。その源泉に触れられる一冊である。
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