2009年06月30日 09:41
twitterを始めてケータイから気づきなどをBlogに投稿することがなくなった。iPhone持ってるし、アプリですぐつながるから、短い文章ならtwitterに書き込めばいいし、むしろ日常的に使っているのはtwitterの方である。
Twitterには基本短い文章しか書かないのに、なぜか、twitterを始めてから長いBlogもあまり書かなくなってしまった。言いたいことって基本要点だけだから、結局、twitterで一度書いてしまえば最低限の満足は満たされているわけで、後で家に帰ってから再度練り直して、付属にいろいろと話を付けて長い文章としてBlogに起こすのが少々めんどくさいのである。
投下資本とリターンが噛み合わない感じ。
ある種のアイデアを、短い言語に落とし込むのはけっこう簡単な気がする。
というよりも、実際にはアイデアを短いフレーズに意味合いとして対応させるのは難しいんだけど、アイデアを想起する記憶のトリガーとして短いフレーズを対応させることができるから。
でも、結局それを他人に伝えようとしたり他人を納得させようとすると言葉による再構築が必要。
これは僕の中ではさっきのアイデアに対応した短いフレーズとは違う意味合いの言葉。
想起するためのものではなくて、意味を対応させるもの。
そういう意味では書評に関してはずっと書き続けているんだけど、こういう風に情報をめちゃめちゃ与えられた時以外でも、自分の中の言葉を再構築して考えを整理していかなくては。
Blogを始めてからいい循環として出ていた「問を持つ習慣」みたいなものが最近薄れつつあることには危機感を覚えているので、やはりアウトプットしていかないとな。
Twitterには基本短い文章しか書かないのに、なぜか、twitterを始めてから長いBlogもあまり書かなくなってしまった。言いたいことって基本要点だけだから、結局、twitterで一度書いてしまえば最低限の満足は満たされているわけで、後で家に帰ってから再度練り直して、付属にいろいろと話を付けて長い文章としてBlogに起こすのが少々めんどくさいのである。
投下資本とリターンが噛み合わない感じ。
ある種のアイデアを、短い言語に落とし込むのはけっこう簡単な気がする。
というよりも、実際にはアイデアを短いフレーズに意味合いとして対応させるのは難しいんだけど、アイデアを想起する記憶のトリガーとして短いフレーズを対応させることができるから。
でも、結局それを他人に伝えようとしたり他人を納得させようとすると言葉による再構築が必要。
これは僕の中ではさっきのアイデアに対応した短いフレーズとは違う意味合いの言葉。
想起するためのものではなくて、意味を対応させるもの。
そういう意味では書評に関してはずっと書き続けているんだけど、こういう風に情報をめちゃめちゃ与えられた時以外でも、自分の中の言葉を再構築して考えを整理していかなくては。
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